アジマティクス

ここをこうするとおもしろい

素数大富豪大会MATH POWER杯決勝戦では何が起こっていたのか

会場は、異様なほどの静寂に包まれていた。

高まりに高まった興奮を、誰もが無理矢理押し殺している。そんな静寂だった。「息が詰まる」──。そう表現するのがいかにも相応ふさわしい。

ステージ上には三人の男が座っている。

そのうち二人がテーブルを挟んで向かい合い、もう一人はその間にいる。四角いテーブルの三面を埋めるかたちだ。残る一面はホール側に向かって開かれている。

向かって右の男は、落ち着き払った様子で不敵な笑みを浮かべている。大柄だが線は細く、色黒なのでとがった鉛筆を思わせる。

左の男は、それに比べれば少し落ち着かない様子だ。緊張している。そう見える。こちらも線は細いが、色白で、柔和な雰囲気をたたえている。

対照的な二人の態度は、「チャンピオン」と「挑戦者」のそれを思わせた。無理もない。世紀の大勝負が、これから始まろうとしているのだ。チリチリとけつくような緊張感が肌を刺す。

突然、右の男が「あ、あ、あ」と短く発声する。マイクテストだ。ステージは全国に生中継され、この時点での延べ視聴者数は十万人に達しようとしている。

マイクテストが終わると、再び静寂が訪れる。会場の青いライトが静かに二人を照らす。

その静寂を破って、もうひとりの男が言う。

「では、最初の手番を決めていただきたいので、じゃんけんをお願いします」

二人がじゃんけんをする。左の男が勝つ。トランプのカードが配られる。カードが十一枚であることを双方が確認する。考慮時間シンキングタイムが始まる。

素数大富豪である。

三人の男は、プレイヤーと素数判定員であった。

二〇十六年十月四日午前五時三十九分、「素数大富豪大会MATH POWER杯」決勝戦の幕が、切って落とされた──。

素数大富豪大会MATH POWER杯

nico.ms

あどうも、「右の男」こと鯵坂もっちょです。動画の中から失礼します。この記事は、素数大富豪アドベントカレンダー20日目の記事です。

「素数大富豪」というトランプゲームがあります。通常の大富豪は場に出ているカードより大きいカードをどんどん出していくというものですが、素数大富豪においてはカードを組み合わせて素数を作り(「4」と「1」で「41」みたいな)、場に出ている素数より大きい素数を出していって、先に手札をなくしたほうが勝ち、というルールになってます。詳しいルールなどはこちら。

www.ajimatics.com

2014年に数学者、せきゅーん氏の手によって誕生したこのゲームは、その後大きな広がりを見せ、このような大規模な大会が開かれるまでに成長します(考案者が考案当時の記憶を綴った記事がこちら。こちらも素数大富豪アドベントカレンダー7日目の記事として投稿されています)。そしてその大会の決勝戦まで勝ち上がったのが、「左の男」みうら氏(@miura_prime)、「右の男」つまり私、鯵坂もっちょ(@motcho_tw)というわけだったんです。

今回は、あのときステージ上で一体何が起きていたのか、お話しようと思います。

概況

決勝戦は5本勝負。3セット先取した方が勝利です。すでに3試合を終え、みうら氏が2セット、私が1セット取っており、みうら氏が優勝に王手をかけています。そんな状況で迎えた最終戦の棋譜が以下です。

いちおう書式の統一として、数そのもののことを言うときは半角数字で(81013など)、カードのことを言うときはカード1枚につき全角文字1つで(810Kなど)表すことにします。

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トランプゲームのリプレイに対して「棋譜」と呼ぶのが正しいとは思えませんが、正式になんて呼ぶのか知らないのでここではそう呼んでおくことにします。ご存じの方は教えてください。

1ターン目

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画像:MATH POWER 2016 - ニコニコ生放送のスクリーンショット

カードが配られたらまず、何枚出しで戦うか考えます。本セットは私が先攻だったので場に出す枚数を決められます。しかし4枚で作れる素数をほとんど知らなかったため、ここでの選択肢は1枚か2枚か3枚ということになります。1枚だとK(13)、2枚だとQK(1213)、3枚でも4QK(41213)があるのでわりと何枚出しでも戦えそうです。しかし、1枚や2枚で戦うにはちょっと偶数の多さが気になったので、ここはペナルティで何枚か引いてカードを増やすことにします。

素数大富豪においては、カードが多いほど不利とは言いきれません。むしろその分選択肢が増えるので臨機応変に対応しやすくなります。なので私は最初に配られたカードが心もとないときなどによくこの戦法を使うのですが、この大会を見てると他にやってる人があまりいないので実はそんなによくないのかもしれません。

偶数である2368を出して4枚ほど引くことにします。出てきたカードは8851。(ಠωಠ)

失敗です。しかし戦略として間違っていたかどうかは微妙なところだと思います。

みうら氏の手番です。自信なさげに599を出します。3枚出しで戦うことを選んだようです。

2〜4ターン目

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599が場に出ている。

私の手番。奇数である9を2枚も使っているところが少し気にかかりますが、おそらく3の倍数が多かったなどして捨てたかったのでしょう。ひとまずここは順当にカードを減らしていきたかったので、599より少しだけ大きい653を出し、ラリーを続けようとします。みうら氏、863。私、881。みうら氏、41011。目論見通り、ラリーが続きます。ちなみに880台は881(ヤバい)、883(ヤバみ)、887(ヤバな)という3つの素数がある(889(ヤバく)だけはない)ので覚えやすくてよいのです。このあたりは素数大富豪アドベントカレンダー8日目の記事、二世さんの「偶数カードを使おう!」でも触れられています。

5ターン目

41011。3枚のカードのうち2枚までが2桁なので、こちらも少なくとも2枚以上の2桁のカードを使って素数を作らなくては超えられません。今の手札はKQQ9877542。Qを2枚使ってできる3枚出し素数は存在しない(参考:みうら氏のツイート)ため、少なくともKは使わなくてはなりません。そうなってくると、これらの条件にあてはまり、かつ41011より大きい素数は41213以外にありえません。

大きい素数は大事です。出す素数が大きいほど、手番を自分のものにできる可能性が高くなるからです。ここでの私の選択肢は41213を温存してパスか、41213を出すことです。しかしここで41213を使ってしまうと、後に残される手札ではあまり大きい素数が作れません。そのため一抹の不安はあったのですが、ここで相手の手番にされてしまってはさすがにまずいと思ったので、41213を出して自分の手番にすることを選びます。

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41213を出そうとしている私。

もし向こうの手札が3枚以上なら、41213は少し危険です。これを超える3枚出し素数にはまだ61211や81013などがあります。みうら氏がもしそれを持っていれば一巻の終わりですが、みうら氏の手札はこの時点で2枚なので今回は安心して出すことができます。

これを受けてみうら氏は引かずにパス。セーフです。氏の残り手札は2枚(101)。私は7枚(Q987752)です。

6ターン目、私の手番

ここで私は最後にして最大の間違いを犯します。私の出した手は829。大失敗でした。何がマズかったのかお分かりになるでしょうか。

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場に出された829。

まず「グロタンカット」57は残したかった。そうなると残る手札はQ9872の5枚です。さすがにこの手札で1枚出しは厳しいので、選択肢は2枚出しか3枚出しです。2枚出しだとしたらこの手札でできる最大の素数はQ7(127)。

127。相手の手札は2枚。そこで127を出す。

 

……勇気がなかったのです。

素数大富豪において、例えば相手の手札が1枚でこちらの手札が5枚とか6枚、かつこちらの手番ならば基本的に勝てます。3枚出しを続ければいいのです。

こちらが3枚で出せば、1枚しか持っていない相手は枚数からして超えられないので山札から引かざるをえません。さらにこちらが3枚で出せればあがりです。6枚以上持っていたとしても、こちらが手札を組んで作っておいた素数と、相手が山札から引いたカードでその場しのぎに作った素数とでは、こちらのほうが強い素数である確率が高いので、こちらが有利であることに変わりはありません。

概して終盤戦においては、相手の手札の枚数を上回る枚数で出し続ければ、常に有利にことを運べます。逆に言えば、相手の手札と同じ枚数で出すことは、かなりのリスクを伴うのです※。

※今回は詳しくは述べませんが「相手の手札以下の枚数で出す」ことも(のほうが?)有効です。

みうら氏の手札は2枚。127程度の小さな素数では、次のターンですぐ終わってしまう可能性がある。そんな賭けには出られない。日和ったのですね。私は3枚出しを選びます。

残ったカードでできる3枚出し素数で、私が知っていた最大のものが829だったというわけだったのです。大ポカでした。

しかし当時はむしろ安心感すらあったのです。829なら127より大きいからいけるだろうと。相手はさっき41011を出し、さらに41213でパスもしてるのでもうそこまで大きいカードは持っていないだろう、と。

ここでこちらの表をご覧ください。3枚出し、2枚出しのそれぞれにおいて、素数大富豪で出すことができる素数(「素数大富豪素数」といいます)を大きい順に並べたものです。

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こうしてみると、127はかなり「大きい」ことがわかります。対して、829はいっこうに出てきません。もっとずっと下の方です。

素数大富豪においては、「2枚出しにおける127」は「3枚出しにおける829」よりも「大きい」のです。

私はこのことに大会終わって一週間ぐらい経ってから気づいて愕然としました。

確率で考えるとまた変わってくるでしょうが、829は、少なくとも127に比べれば、より大きいカードを出される確率が高かったのだろうと思います。

あとになって思えば、あのとき出せた素数には「1289」もありました。「9127」もありました。当時は知らなかったのだから今さら何を言っても後の祭りです。

あのとき57を残そうと思っていなければ......? もっと相手の手札が何かを予想しながら戦っていれば......? ifは挙げればきりがありません。

6ターン目、みうら氏の手番

みうら氏、1枚引きます。前述しましたが、このときの氏の手札は101。私のはQ775。みうら氏がパスまたはペナルティを受けてくれれば、57(グロタンカット)→127で私の勝ちです。

ここで、「101」という氏の待ちについてちょっと考えてみます。

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左側がカード、右側はそのカードと101との組み合わせで作ることができる素数です。上表の通り、「101」という待ちは8/13の確率で素数を作ることができたのです。しかも829と比べるとどれをとっても大きい。

8/13は約0.615なので、半分を超えています。101は待ちとしてはかなり強かったと言える、と個人的には思いますが、確実なことは言えません。一体どんな待ちが強いのかは、まだ研究が進んでいないからです。

氏が引いたカードは2。シンキングタイムである1分間をほぼ全て消費して悩んだのち、1021を出します。これが素数かどうかは氏も知らなかったようで、全く自信がなさそうです。

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悩むみうら氏。

1021が素数ならばみうら氏の勝ち。1021が合成数ならば私の勝ち。素数判定員である三重積氏が素数判定アプリを使って判定します。1021は


「素数です」

「だああ!」

悲鳴がこだまする。右の男だ。「せきを切った」。声から受ける印象はそうだった。ずっと我慢していたのかもしれない。あるいは、一〇二一が素数であることに気がついていたか──。

それは、悲鳴というよりも、「慟哭どうこく」。そう呼ぶべきものであった。

対する左の男は朗らかだ。朗らかだが、こちらはどちらかといえば「放心状態」。全身の力が抜けてしまって正体もない。張り詰めていたものから開放された。勝敗は違えど、その点においては二人とも同じだったのであろう。

妙に軽い調子の男がステージ上に現れる。三十五時間ぶっ続けで行われているこの数学イベントの総合司会を務めるお笑い芸人、タカタ先生だ。彼自身もこの決勝トーナメントに出場し、歴史に残る迷勝負を繰り広げていた。三時間前のことだ。

「おめでとうございまーす! ということで優勝者はみうらさん! さあみうらさん! 優勝おめでとうございます! 感想をお願いします!」

「好きな素数を出して勝てたのは良かったです。五百九十九って、高尾山の標高なんですよね」

戦略ではなく、出したかったお気に入りの素数を出し、そして勝ったということだ。完勝──。

これには右の男もこたえたようで、ショックの色を隠しきれていない。

「惜しくも準優勝でした、もっちょさんいかがでしょう」

「……絶対に次は勝ってやる」

地の底から湧き上がるような、それでいて、燃え盛る炎のような。そんな声であった。

 

戦いは終わった。

先刻までとは打って変わって、会場には弛緩した空気が漂っている。

「数学のお祭り」MATH POWERはこれまでに十八時間分のプログラムを終えており、ようやく折り返し地点を超えたところだ。熱い一日はまだまだ続く。

これから後、トランプゲーム「素数大富豪」は、押しも押されもせぬ国民的人気ゲームになっていくのだが、それはまだ、少し先の話である。(了)

 

素数大富豪アドベントカレンダー明日の21日目の担当は、ほかでもない、みうら氏です。

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